2014年6月4日、冬の初めのロトルアはポカポカと穏やかな1日。もうすぐ最後の陽が山陰に隠れてしまう際に、向こうの山並みが微妙な光線と色彩の縞になって、ちょっとセンチメンタルな気分をかきたてる。
6月4日……って、何かの日だったよね〜。何の記念日? あ、そうだ。9年前の2005年、長崎からニュージーランドに移住した年のオークランド空港に降り立った日だった。私たちの「移住記念日」。最初の数年間は、この日を感慨深く心に刻んでいたのに、こうして「思い出す」ようになったことが、NZライフに馴染んだことの一つの証なのか?
つれあいのポールがNZ人だから、永住権取得もNZ暮らしも難なく順調にできたのか…というと、決してそんなことはない。
確かに、日本人だけのカップルやファミリーの場合よりは永住権は取りやすいと言えるけど、ポール自身もオークランド大学を卒業してすぐにオーストラリアに移り、そのまま約12年間いくつかの仕事をしたした後にふらりと日本へ……そこで啓恵(私)と出会って長崎に16年間住みついたので、28年ぶりの帰国。「里帰り」で2週間程のNZ滞在は1〜2年に1回はしていたけど、NZで社会人として生活するのは彼にとっても未知の経験。いわば、浦島太郎。生活の基盤をつくっていくのに、頼れる人は誰もいない。ポールの両親はあっても(移住した時は、義父もまだ存命だった)、NZでは、子どもが大学を卒業して家を出たら、後は完全に本人の人生。親も子もお互いに頼るという姿勢がない。どのファミリーもそうなのかはわからないけど、少なくともポールの家庭ではそうだし、その友人たちのファミリーを見てもそんな感じがする。厳しいけど、凛として、サバサバしている。家族・係累というものがあまりに重過ぎた私には、それが潔くていい。
……ゼロから始める「異国の暮らし」。食べていける保証も何も無い。
何もかも手探りで辿って来た日々。まだまだ、安定して暮らしているとは言えないかもしれない。「NZで暮らしたら、こんなことをしよう」と思っていたこと,2人で話していたこと、そのいくつかは実現したし、継続している。まだ、形を成していないこともある。
9年前の冬、永住権が取れるまで=仕事をする権利が得られるまでは、家にいて何もできない日々が数カ月続いた。自分が役立たずで価値のない存在に思えて、イライラばかりが募った。そんな中で、毎日、ブログを日記として綴り始めた。そのブログは、一旦途絶え、ホームページもウェブ・サービスの変更や停止などに伴って、初期の頃のものとは完全に変わっている。
6月4日の「移住記念日」をきっかけに、ふと、初心にかえって九十九折りのようなNZライフを、また綴っていこうかな……と思った。その1ページ。
6月4日……って、何かの日だったよね〜。何の記念日? あ、そうだ。9年前の2005年、長崎からニュージーランドに移住した年のオークランド空港に降り立った日だった。私たちの「移住記念日」。最初の数年間は、この日を感慨深く心に刻んでいたのに、こうして「思い出す」ようになったことが、NZライフに馴染んだことの一つの証なのか?
確かに、日本人だけのカップルやファミリーの場合よりは永住権は取りやすいと言えるけど、ポール自身もオークランド大学を卒業してすぐにオーストラリアに移り、そのまま約12年間いくつかの仕事をしたした後にふらりと日本へ……そこで啓恵(私)と出会って長崎に16年間住みついたので、28年ぶりの帰国。「里帰り」で2週間程のNZ滞在は1〜2年に1回はしていたけど、NZで社会人として生活するのは彼にとっても未知の経験。いわば、浦島太郎。生活の基盤をつくっていくのに、頼れる人は誰もいない。ポールの両親はあっても(移住した時は、義父もまだ存命だった)、NZでは、子どもが大学を卒業して家を出たら、後は完全に本人の人生。親も子もお互いに頼るという姿勢がない。どのファミリーもそうなのかはわからないけど、少なくともポールの家庭ではそうだし、その友人たちのファミリーを見てもそんな感じがする。厳しいけど、凛として、サバサバしている。家族・係累というものがあまりに重過ぎた私には、それが潔くていい。
……ゼロから始める「異国の暮らし」。食べていける保証も何も無い。
何もかも手探りで辿って来た日々。まだまだ、安定して暮らしているとは言えないかもしれない。「NZで暮らしたら、こんなことをしよう」と思っていたこと,2人で話していたこと、そのいくつかは実現したし、継続している。まだ、形を成していないこともある。
9年前の冬、永住権が取れるまで=仕事をする権利が得られるまでは、家にいて何もできない日々が数カ月続いた。自分が役立たずで価値のない存在に思えて、イライラばかりが募った。そんな中で、毎日、ブログを日記として綴り始めた。そのブログは、一旦途絶え、ホームページもウェブ・サービスの変更や停止などに伴って、初期の頃のものとは完全に変わっている。
6月4日の「移住記念日」をきっかけに、ふと、初心にかえって九十九折りのようなNZライフを、また綴っていこうかな……と思った。その1ページ。
コメント
コメント一覧 (2)
私の方も大変ご無沙汰で失礼しています。
このブログを見つけてくださって、ありがとうございます。
遠山先生のご逝去のお知らせ、驚くと共にもうお会いできないのかと思うと悲しいです。ご冥福をお祈りします。遠山先生のことだから、天国でも次々に興味を見つけて走り回っていらっしゃることでしょうね。
奈尾子さんもお元気にご活躍のご様子。つい数日前に、ふっと鈴木先生どうしていらっしゃるかな?と心に浮かんだのが、スゴい偶然です。
西中須先生も懐かしいです!
またお会いになる機会に、よろしくお伝えください。
Facebookでほぼ毎日upしている日々の暮らしの様子を、KIWI-RACCOのメイン・ホームページのブログにもコピーしてupしていますので、Facebookに縁のない方も、そちらでロトルアの様子をご覧いただけます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
fface book をやっていないので、このメールが届くか、自信ありませんが・・・。
実は、遠山先生が亡くなられました。一昨年前の11月でした。直接の原因は
、転んで頭を打った時にできた血瘤らしいです。残念です。私自身は、1ヶ月
前にお会いしていたので、最後に会えてよかったと思っています。
忙しさにかまけ、つい遅くなりました。次男が大学に入学。私は定年退職です
が、再任用(嘱託のようなもの)で、もう1年フルタイムで働いています。4月から
は週3日勤務になるらしいので、今より自由が増えるかと、楽しみ
今夜は西中須さんたちと久しぶりに食事をしてきました。「片桐さんは、どうして
いるかな?」と、沖縄のころを思い出していました。
よかったら、返信ください。では。