庭の奥で、雨に濡れた合歓(ねむ)の花が、うつむくように雫をためている。それでふっと浮かんでくるのは、芭蕉の句。

    象潟や雨に西施がねぶの花 

雨の中のネム

 象潟(きさかた)は現在の秋田県にかほ市にあり、江戸時代までは無数の小島が浮かぶ潟湖だったのが、1806年の地震で隆起し陸地になってしまったのだそうだ。 芭蕉が『奥の細道』紀行をしたときは、九十九島・八十八潟の景勝地が有名で「東の松島・西の象潟」と並び称されていたという。芭蕉は前述の句の前にこのように記す。

 「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」 

  陽の松島・陰の象潟。芭蕉がこの地に着いた日は雨がちで鳥海山も煙るような雨に隠れていたが、翌朝は眩しい陽が射して、潟に舟を浮かべたとも記している。実際の記録では、その朝も小雨が残り、昼過ぎから晴れて夕方に舟を出したのだそうだ。

象潟九十九島の模型
象潟(現在の地形)

 『奥の細道』は紀行文と分類されるが、紀行記録ではなく、随所に芭蕉の計算とアレンジが散りばめられている。小雨が残った朝を芭蕉は「朝日花やかにさしいづる程に、象潟に舟を浮かぶ」と脚色する。潟に浮かぶ能因島に西行の足跡を訪ね、岸辺の干満珠寺から鳥海山を含む眺望が一望できたと述べた後に、「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし……」の一節と西施の句が続く。

 私は最初この章を読んだ時、象潟の沈んだ印象は芭蕉が訪れたときの雨の暮色のイメージだと思い込んでいた。けれども、芭蕉はわざわざ「花やかな日差しのもと」で象潟を舟から楽しみ、 晴れやかなパノラマ眺望も一望したと言っている。だから、「寂しさに悲しみを加えて、魂をなやます」象潟のイメージは、「西施の悲劇」と雨の西湖の連想のために必要な布石に違いない。むしろ、こんなに晴れやかな景勝なのに……象潟は寂しく悲しい、という強調ではないのか。


 象潟から飛躍した芭蕉のイメージ。なぜここで西施(せいし)という女性が登場するのか?

 到着した日に見た雨に煙る象潟が、雨の西湖を連想させた。『象潟』の文中にも「雨もまた奇なり」という蘇軾の西湖の詩の引用が入る。 


  水光瀲艶晴方好  水光瀲艶(れんえん)として晴れてまさに好く

  山色空濛雨亦奇  山色空濛(くうもう)として雨もまた奇なり

  欲把西湖比西子  西湖を把て西子に比せんと欲すれば

  淡粧濃抹總相宜  淡粧濃抹すべて相よろし


(意味)水面がキラキラと輝き、さざなみが揺れている。晴れた日の西湖は実に素晴らしい。また霧雨で山の色が朦朧とにじんでいる、雨の日の西湖も味わい深いものだ。西湖の様子を伝説的な美女・西施に比べようとすれば、薄化粧も厚化粧も、どちらも似合っていて、素晴らしい。

 西施は絶世の美女で、呉と越の争いの中で、越から呉の王へ贈られた。元々は越王勾踐(こうせん)の愛妾で、王が彼女に夢中になって国政を怠るのを恐れた臣下が、計略として敵王への貢ぎ物にした。ねらい通りに呉王夫差(ふさ)は西施におぼれ、国力が弱まり、呉は滅びた。その後彼女は越に送り戻されるが、また王が彼女に夢中になるのを恐れた臣下によって暗殺され、水に沈められたという。西施の「その後」には別説もあるようだが…。政治に利用された美女の悲劇。

 派手な化粧できらびやかに着飾っても、薄化粧で質素な衣装でも、彼女の美しさと魅力は輝いていたと伝承は言う。その姿に、晴れたときも雨に煙るときも、それぞれの風情と美しさをみせる西湖のたたずまいを例えて蘇軾は詠う。 

西湖  三日月潭

 雨の象潟……雨の西湖……雨に濡れてうつむくように咲く合歓の花……悲劇の美女・西施の涙に濡れるまつ毛
 

  芭蕉が中国杭州の西湖を実際に見た訳ではないから、蘇軾の詩のイメージが芭蕉の中で時空のモンタージュを起動させていた。

 連想とイメージを重ねることで、時代も場所も超えて共有できるものがある。それが“追体験”の力。 芭蕉はそれを最大限に生かした人だ。俳諧という極限の短詩手法は、省略と飛躍、喩えとモンタージュを駆使する。連句の一部でありながら、芭蕉は一句で完結する詩の世界をも目指した。それが『奥の細道』という作品の野心であったと、私は思う。

西湖で吹く笛

 私は象潟を見たことが無い。日本から遠く、地球の裏側・南半球のニュージーランドにいて、雨上がりの合歓の花を見て、象潟の句を口ずさんでいる。
 西湖は訪れたことがある。高校の修学旅行の引率として、上海・蘇州・杭州への旅だった。そのコースの中で、杭州・西湖は私にとってのハイライト。もし、また中国のどこか、個人で訪れたい場所を選ぶとしたら、断然杭州を選ぶ。
 西湖は、雨に煙っていた。「雨もまた奇なり」……やはりそう呟き、湖上、遊覧船のデッキで篠笛を即興で奏でた。西施、蘇軾、芭蕉へのレクイエムとして、笛の音は背景の蘇堤の柳のそよぎと戯れるように風に消えていった。 

  蘇堤(そてい)は、蘇軾(蘇東坡)が杭州知事として赴任した時に、かつてやはり杭州知事だった白楽天が治水工事と地元住民の労働確保のための事業として堤防工事を指導した跡をついだもの。白楽天時代の堤防を「白堤」(はくてい)と呼び、蘇東坡時代のものを「蘇堤」と呼ぶ。いずれも西湖の美しいたたずまいに溶け込んでいる。

西湖 蘇堤

 蘇軾は、私の故郷・長崎とも縁がある。豚の角煮=東坡肉(トンポーロウ)は長崎では「東坡煮(とうばに)」と呼ばれ、郷土料理「卓袱(しっぽく)料理」の必須の一品。名前が示す通り、この料理は蘇軾=蘇東坡が考案したと伝えられている。

  西湖の利水工事の成果と土木仕事で潤ったことに感謝して、地元住民が大量の豚肉と紹興酒をお礼に献上した。蘇軾は以前に考案したことのある豚肉の煮込みを紹興酒を使って調理するように指示し、住民たちにまた振る舞った。そのあまりの美味しさに、住民たちはこの料理を「東坡肉」という名で讃えたという。沖縄では泡盛で煮込む「ラフティ」となり、長崎では元の料理名を伝える「東坡煮」として伝わっている。……ここまで記したら、東坡煮がメチャメチャ食べたくなった! 実は、豚の角煮、ポールの得意料理でもある。


 文学の香り高い章のはずが、最後は食いしんぼで落ち……

 ニュージーランド・ロトルアの庭の合歓の花~芭蕉と象潟~西湖と西施~蘇軾~東坡煮。めくるめく時空の連想とモンタージュ。

ネム&ジャカランダ